‐それはサラブレット達のワールドカップ‐
凱旋門賞。
日本競馬の悲願である。
2013年。
武豊騎手はダービーを制し、完全復活を成し遂げた。
日本一で一番栄光を欲しいままにしてきた騎手が言う。
「ディープインパクトの凱旋門賞が未だに夢に出てくる。」
かつて、何ヶ月前もから、あんなにも一つのレースを楽しみにしたことがあっただろうか。
NHKが生中継をし、馬券を売れないJRAがCMを流す。
深夜にも関わらず、視聴率は30%近くまで達する。
日本では根本的に「ギャンブル」であるはずの競馬が、「スポーツ」になった。
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7月10日。
IFHAから、トップ50ワールドリーディングホースが発表された。
ディープインパクトは、1位タイの評価を受けた。
日本馬が初めて、世界最強馬と認められた瞬間だった。
武豊は、メディアに出るたびに。「ディープより強い馬がいるとは思えない」という旨の発言を繰り返した。
オリビエ・ペリエやクリストフ・ルメールなど世界的名手も、「ディープインパクトが一番強い」と語った。
ペリエに至っては、「日本から怪物がやってくる」とヨーロッパの関係者に興奮気味に話したと言う。
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有馬記念でディープインパクトを破ったハーツクライ
そのレースの勝ち馬はハリケーンラン。
ハリケーンランの父モンジューは、1999年の凱旋門賞で日本馬エルコンドルパサーを2着に退けていた。
レーティングはディープインパクトと並び1位タイ。
欧州の名血が、3度日本馬の前に立ちはだかろうとしていた。
レーティング1位タイはもう1頭いた。
アメリカ競馬の祭典、ブリーダーズカップを前年に制したシロッコ。
凱旋門賞は、これにディープインパクトを加えた3頭の戦いと目されていた。
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凱旋門賞の登録馬は8頭だった。
さすがに、レーティング1位の3頭に挑んでくる馬は少なかった。
挑んできた馬の中では、フランスのビッグレース、サンクルー大賞を制した牝馬プライド、凱旋門賞と同コースで行われたGTパリ大賞典を制し、4連勝中の3歳馬レイルリンクといったところが有力とされたいた。
ディープインパクトは前哨戦を使わず、宝塚記念からぶっつけでの本番となった。
ペリエやルメールはこの点を危惧していたが、順調に現地で調整が積まれているという報道がされていた。
いよいよ、その年の世界最強馬を決めるレースのゲートが開こうとしていた。
CMの最後はこう締めくくられていた。
「世界のディープを見逃すな」